今日はちょっと変わったテーマをお話しします。
教科書にも子育て本にも、きっと載っていない話です。
そして、支援者としては一生向き合っていくことになる——そんな話でもあります。
少し堅めのスタートですが、できるだけ優しい言葉で書いていくつもりなので、気軽に読んでもらえたらうれしいです。
臨床心理士の現場で求められる、信頼よりも重要なもの
臨床心理士としての私の仕事は、実はかなり幅広いです。たとえば——
- 子どもへの直接指導
- 保護者へのアドバイス
- 幼稚園や小学校の先生へのコンサルテーション
- 他の支援機関への助言
——こんなふうに、関わる場面はさまざまです。
私(カウンセラー)が向き合う相手は、「子ども」「保護者」「教師」「他機関の支援者」など、実に多様です。
こうした人たちを、臨床の現場では「クライアント」と呼んでいます。
臨床心理士の教科書にはこんなことが書かれています。
「カウンセリングでは、カウンセラーとクライアントとの間で信頼関係を作ることが大切です。」
では、ここで思いきって問いかけてみます。
「カウンセラーはクライアントを信頼して良いのですか?」
私の答えは、はっきりNoです。
支援者失格どころか、永久追放されかねない発言かもしれません。
それでも、私は明確にNoと答えます。
信頼は“前提”にしてはいけない——現実はもっとシビアです
もちろん、カウンセラーが人として優れているとか、クライアントを見下しているとか、そういう話ではありません。
ここは一度、冷静に考えてみてください。
たとえば、私は親御さんに子育てのアドバイスをすることがあります。
親御さんは、私のアドバイスに対してほとんど必ず「はい、やってみます!」と答えてくれます。
「いいえ、やりません」と言われた記憶は、ほとんどありません。
では、親御さんがそう答えてくれたからといって、「きっと次回までにやってくれるだろう」とカウンセラーが思い込んでよいのでしょうか?
もう一つ、子どもの場面を例に挙げてみます。
あるお子さんが、親を叩くことが日常的になっていたとします。
私が「そんなことやっちゃダメだよ。先生と約束しよう」と丁寧に伝えたところ、子どもは涙を浮かべながら「うん、もう絶対に叩かない」と言ってくれました。
この子は、もう二度と親を叩かないでしょうか?
はっきり言います。
ほとんどの場合、親御さんはやってくれません。
十中八九、子どもはまた叩きます。
支援者が直面する“裏切られた感覚”と、その正体
「アドバイスをしたのに実行してもらえなかった」
「約束したのに、守ってもらえなかった」
多くの支援者は、こうした場面に繰り返し直面し、そのたびに様々な感情を抱くものです。
カウンセラーの心に浮かぶのは、きっとこんな思いです。
- あれだけ丁寧に伝えたのにやってくれないのか…(落胆)
- きっと私の説明が下手だったのかしら…(自己嫌悪)
- いいや、守ってくれなかった相手が悪いんだ!(怒り)
- この相手にはもう何を言ってもきっとダメだろう(失望)
こうした感情を抱くこと自体は、決して珍しいことではありません。
こうした感情をひとつにまとめると、行き着くのはこの言葉かもしれません。
クライアントに裏切られた
そう感じてしまうのです。
でも、ここで少し視点を変えてみましょう。
クライアントの側から見れば、どうでしょうか。
大きなお世話だ
——そんなふうに思われていたとしても、不思議ではありません。
疑う力は技術であり、鍛えるべき“専門性”の核である
私は支援の技術や考え方を学ぶために、長年、ある先生のもとで学ぶ機会を得ました。
その先生は、教科書には決して載らないような、けれど本質を突く言葉を、何度も私たち弟子に投げかけてくれました。
月に一度の研究会で、いつも繰り返されたのはこんな問いです。
「どうしてクライアントを信用したのか?」
「なぜ、疑わなかったのか?」
「子どもを疑いなさい。親を疑いなさい。そして——自分自身も疑いなさい。」
特にこの最後の言葉。
臨床心理学の教科書には絶対に書かれていないけれど、現場で仕事をするかぎり、私はこの言葉から逃れられません。
たとえば、保護者にたったひとつアドバイスをするときでさえ、私は自分に問いかけます。
- やってくれる保証はどこにある?
- 本当にやってくれたかどうか、どうやって確かめる?
- 親へのお願いが、あまりにも厳しすぎやしないか?
- この親がどれだけ忙しいか、想像できているか?
- 他の家族が「やらない」と言い出すことは考えたか?
- このアドバイスを継続してくれるだけのサポートができているのか?
- もしできなかったとき、二の矢・三の矢をどう打つのか?
こうした問いを、何度も何度も自問自答しながら考え抜く。
そうしてはじめて、私は専門家として「アドバイス」という言葉を口にすることができるのです。
「信頼」は到達点であり、出発点ではない
『クライアントとカウンセラーの信頼関係』
『クライアントを信じる』
カウンセリングの分野では、こうした言葉がよく使われます。
けれど、私はこれらを軽々しく口にすることはできません。
私の立ち位置は、むしろこうです。
- 私の言葉なんて、きっと相手には届かないだろう
- クライアントが私に不信感や疑念を持っていたって、何の不思議もない。むしろそれが普通
- 口約束を守る?守るわけがないでしょ
これが、私にとっての臨床の出発点です。
ここからスタートすることによって、ようやく支援の組み立てが始まります。
- アドバイスは、最大限、具体的に伝える
- やったかどうかの進捗や結果を、どう確認するかも提案する
- 母だけではなく、父や祖父母にも協力を仰げる体制を整える
- 破られる約束など、そもそもしない。そもそも暴力が起き得ない環境を目指す
……そんなふうに、可能な限りの想像力を働かせて、専門家としての手立てを講じていくのです。
相手を疑い、自分自身すらも疑う。
臨床家の技量とは、この疑う力とイコールと言っても、言いすぎではないと私は思います。
疑ったからこそ生まれる、感謝と感動の支援
では、こうして深く深く疑い抜いた先に、何があるのでしょうか。
——それは、感謝と感動です。
- こんなに難しい提案を受け入れてくれた(感謝)
- アドバイスを実行してくれたおかげで、子どもに素晴らしい変化があった(感動)
だからこそ私は、親御さんに対しては心から「ありがとうございます」と伝えたいと思います。
そして子どもに対しては、「本当によく頑張ったね」と、心の底から褒めたい気持ちがあふれてくるのです。
子どもへの直接指導の場面でも、私の根底にはいつも「やってくれるわけがない」という前提があります。
だからこそ、やってくれた瞬間には——
えっ、やってくれたの?すごい……!
本当によく頑張ったね!
——そんなふうに、驚きと敬意とともに、感動の瞬間に立ち会うことができるのです。
“非常識”こそが、支援者の真のスタートライン
子どもを疑い、親を疑い、そして自分自身さえも疑う。
そんな一見“非常識”にも思える考え方こそが、
実は、療育支援や子育ての現場で本当に必要とされる視点なのです。
では、こうした考え方に基づいた支援とは、どんなものなのか——
もし気になった方がいれば、実際に私の支援を受けられた親御さんの声を、ぜひ読んでみてください。
その中に、きっと“支援の現実”と“希望”の両方があるはずです。


日々こんなことを考えながら支援しています。
「相談室ではどんな悩みが寄せられているのかな?」
——そう思われた方はこちらが参考になります。
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